フランクリン・グラハムへのインタビュー その3
Spirit of America: After the National Prayer
2001年9月14日放送
これは走り書きの原稿です。本稿はこれとは違っているかもしれません。
リポーター
ビリー・グラハム先生は、今回の惨劇はこの国を引き裂く恐れがあったが、かえって国民の団結をもたらしたとおっしゃっていました。テロリストはこの国を引き裂こうとしましたが、逆の結果になったのですと。また先生は、世界貿易センタービルに2機の飛行機が突っ込んだ後のビルの地下についても言及されました。瓦礫の下には、破壊されることのない土台が残っていますと。私たちも同じで、内側から破壊されるか、それとももっと強くなるかを選択できる、と言われました。
ブッシュ大統領が礼拝の終わりに言われました。私たちは深い嘆きの只中にいます。大統領は、亡くなれた子供たちや家族に哀悼の意を捧げると言われました。大統領は慰めの言葉を述べましたが、同時に強い決意を表明して言われました。この戦争は、私たちの不意を突いて他者によって始められたものだが、私たちが選らぶ時に終わることになると。
(引用終わり)
●イラク戦争の背景(P405)
引用元:「聖書に基づいた政治」ウエイン・グルーデム著
1996年8月23日、オサマ・ビン・ラディンは、アメリカに対する「宣戦布告」の声明を発表した。彼が第一の理由として挙げたのはアメリカによるイスラエル支持、第二はイスラム国家にアメリカ軍が駐留していることであった。具体的には(第一次湾岸戦争以降の)サウジアラビアである。
1998年、ザワヒリとビン・ラディンは、3つの理由をあげてアメリカに対するテロ攻撃を公式に宣言した。①第一次湾岸戦争が集結した後もサウジアラビアに米軍が駐留し続けていること(サウジにとって米軍の駐留は、サダム・フセインからの継続的な防備になるため、サウジ政府は米軍の駐留を歓迎していた)。②(第一次湾岸戦争における)アメリカによるイラク制裁のため。③アメリカによるイスラエル支持。これらの理由でザワヒリとビン・ラディンは、ファトワ(宗教的権威を帯びた見解)を発表し、ビン・ラディン、ザワヒリほかが署名し、以下の声明を発表した。
●アルカイダとその系列勢力によるテロ攻撃のリスト(P408)
1993年2月26日 第一世界貿易センタービル爆破事件
1996年6月25日 サウジアラビアの米国兵舎、コーバータワー爆破事件
1998年8月7日 ケニアのナイロビにある米大使館爆破事件
1998年8月7日 タンザニアのダル・エッサラームにある米大使館爆破事件
2000年10月12日 イエメンの港停泊中の米ミサイル駆逐艦コール爆撃事件
2001年9月11日 世界貿易センタービルおよびペンタゴン(米国国防総省)攻撃
このように、9・11は突然起きた攻撃ではなく、世界中のイスラム教過激派による一連の軍事行為の最終的なものであった。これらの攻撃は、(アル・カイダが形成される遥か以前)に始まったもので、1954年10月26日にイスラム兄弟団によって実行されたエジプトのナセル大統領暗殺未遂事件に端を発している。これらの攻撃は、1981年のサダト大統領暗殺につながっている。イスラム教過激派は今日に至るまで、世界中の様々な国において、テロ攻撃を繰り返している。
(引用終わり)
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