ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

人間の自由意志に対する罪の影響【地の果てまで協賛記事】


 この記事は、聖書の真理を探究するという点で、

地の果てまで福音を」に協賛するものです。
 
 ただし、当該ブログ主様がどのような結論に達するかは未知数です
 
 
知・情・意に対する罪の影響
 
創世記6:5(新共同訳) 
主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって
 
 
 この箇所から、アダムとエバの罪が、子孫の内面にどういった影響をもたらしたのかを探りたいと思います。
 
 
原文(引用元:バイブル・ハブ
 
 「常に悪いことばかりを心に思い計っている」の部分は以下のとおりです。
 
 (ヘブル語は右から左に向かって書きます)
 
ヨウム カル  ラ   ラク   リボウ  マハセボット  イェセル
 時  すべての 悪い ~だけ (彼の)の  思いの     意図
 
 
 私たちはヘブル語文法の専門家ではありませんが、
 
「思い」と「心」という二つの名詞が、「意図」を修飾していることは理解できます。
 
 直訳してみると人の心の思いの意図はすべての時にいばかりだ」となります。
 
 つまり人間の意志、思い(知性)、心(感情)の三つの領域は、
 
 どれも悪いということです。
 
 このことから、意志も知性も感情も、一定の度合いで罪の影響を受けていたことは
 
 ご理解いただけると思います。
 
 どの程度悪かったのかというと、憐れみに富む全知全能なる神が考えても、
 
 ノア一家を除く全人類を滅ぼすしか道がないほど、人間の内面は罪の影響を受けていた
 
 ということです。
 
 ここまでよろしいでしょうか?
 
 
救いと自由意志の関係 
 
 では人類の内面の悪さと、救いの関係はどのようなものなのでしょうか?
 
 ローマ3、次のように書かれています。
 
ローマ31012
義人はいない。ひとりもいない。悟りのある人はいない、神を求める人はいない。すべての人が迷い出て、みな、ともに無益な者となった。善を行う人はいない。ひとりもいない
 
 
「神を求める人はいないという部分を、詳しく理解しましょう。
 
 ギリシャ語辞典で「求める」という言葉の意味を調べます。
 
ekzētéō (from 1537 /ek, "out from and to" and 2212 /zētéō, "seek") – properly, seek out, emphasizing the personal intent of the seeker, i.e. the outcome intensely and personally desired by the seeker. This seeking is only as valuable (viable) as the motive which drives it. 
 
エクゼテオー
 
「~から」を意味するエクと、「探す/求める」を意味するゼテオーからなる。
 
 厳密には「探し求める」という意味で、探求者の個人的な意図を強調している。
 
 個人的な意図とは、探求者が強く個人的に願うことによって生み出されたものを言う。
 
 この探求は、探求心を引き起こしている動機と同じくらいの価値を持っている
 
 
 このように、神を探し求めるという精神的な営みは、人間の意志による営みです。
 
 救われる以前の人間の意志が本当に自由であるなら、
 
「神を求める人はいない」と教える聖書は、間違っていることになります。
 
 人の意志には、神を求める自由があるからです
 
 
 しかし聖書は、生まれつきの人間は、誰ひとり神を求めないと教えています。
 
 言い換えると、人間の意志は、神を求めることができないほど
 
 罪によるダメージを被っているということです。ここまではよろしいでしょうか?
 
 
父なる神による説得
 
 しかし、ある方はこう考えるかもしれません。
 
 神を直接求めることはできなくても、

 キリストをとおして神のところに行けばいいのではないかと。
 
 しかし、イエスさまはこのように言っています。
 
ヨハネ6:44 
わたしを遣わした父が引き寄せられないかぎり、だれもわたしのところに来ることはできません
 
 
 この言葉によれば、イエス・キリストというご人格と出会う前に、
 
 父なる神がその人を「引き寄せる」ことが必要です。 
 
「引き寄せる」と訳されているヘルクーオーには、
 
「引っ張る」「引き寄せる」「説得する」という意味がありますが、
 
 言葉のニュアンスも含めて調べてみました。
 
helkýō – properly, induce (draw in), focusing on the attraction-power involved with the drawing.
 
ヘルクーオー厳密には、勧誘してその気にさせること(引き入れること)。
       引き寄せに関与する誘因力に焦点を当てている
 
 
 つまり私もみなさんも、救われる前に父なる神によって「勧誘」され、
 
「その気にさせられた」ということです。
 
 もちろん、地上でのすべての働きは聖霊をとおして成されますから、
 
 直接的には、福音のメッセージをとおして聖霊によって説得された、
 
 ということです。ここまでよろしいでしょうか?
 
 
●まとめ
 
 これまで私は、できるだけ平易に説明しきたつもりです。
 
 最後までご納得いただけた場合、いわゆるカルビニズムの5つのポイントのうち、
 
「全的堕落」と「不可抗な恵み」という2つを承認していただいたことになります。
 
 難しかったでしょうか? ここに書かれていることは受け入れがたいですか?
 
 ご納得いただけた方は、「ポチッ」としていただけると感謝です。
 
 
 応援ありがとうございます↓