【ミニ投稿】苦難=栄光に預からせるもの 1ペテロ1:11
苦しみに関するワードスタディーです。
●苦難=神の栄光を見させる
1ペテロ1:11
彼らは、自分たちのうちにおられるキリストの御霊が、キリストの苦難とそれに続く栄光を前もってあかしされたとき、だれを、また、どのような時をさして言われたのかを調べたのです。
次のような意味や特徴があります。
パセマー:「苦しみのような強い感情を感じる能力」が原義。
すなわち強い感情を体験する能力や特権のこと。
パセマー(強い感情)には、「苦しみ」という意味が含まれる。
その苦しみは、常に神の栄光を知る結果をもたらす。
パセマーは、例えば次の箇所で使われています。
へブル2:9
●ギリシャ語表現
Τὰ εἰς Χριστὸν παθήματα
定冠詞 の中へ キリスト 苦しみ(複数形)
原文はこのような順番で書かれていますが、普通と違う点があります。
①パセマーの定冠詞がフレーズの冒頭に来ており、フレーズ全体をくくっていること
(通常は定冠詞がパセマーの前に来る)
②エイス/εἰς という前置詞を使っていること、です。
英語で説明すると、the passions of Christ ではなく
the passions into Christ となっており、
ペテロがエイスに特別な意味を持たせていることがわかります。
実際、2コリント1:5の「キリストの苦難」はこう書かれています。
τὰ παθήματα τοῦ Χριστοῦ
定冠詞 苦しみ 定冠詞 キリスト
こちらも訳せば「キリストの苦難」ですが、パウロはエイスを使っていません。
エイスは、しばしば「キリストを信じる信仰」を表すときに、
ピティス エイス クリストウ という具合に使われます。
この理由は、信じることがキリストの人格に対するものだからです。
ですから1ペテロ1:11のフレーズは、
ペテロが意図的に、苦しみとキリストの人格を結び付けているものと思われます。
「苦難」がキリストに向けられていたことを示しており、
キリストが苦難を受けるように定められていたことを示している、
と書かれています。
苦難と栄光はワンセットだということでしょう。
●私たちも苦しみと栄光に召されている
新共同訳1ペテロ5:9~10を見ると、
私たちも苦しみを通ることにより、栄光を受けるよう招かれていることがわかります。
信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。あなたがたと信仰を同じくする兄弟たちも、この世で同じ苦しみ(パセマー)に遭っているのです。・・・
しかし、あらゆる恵みの源である神、すなわち、キリスト・イエスを通してあなたがたを永遠の栄光へ招いてくださった神御自身が、しばらくの間苦しんだあなたがたを完全な者とし、強め、力づけ、揺らぐことがないようにしてくださいます。
いまキリストに従うがゆえに苦しみに遭っている兄弟姉妹は、
後の日に「永遠の栄光」を受けることを喜んでください!!!
↓最後までお付き合いくださりがとうございます↓