【ミニ投稿】帰天までを含めた救い 1ペテロ1:9
新改訳だと意味が縮小されてしまっている箇所の説明です。
●意味が縮小されている
1ペテロ1:8~9
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです。
9節(茶色の部分)の訳は、原文の意味を縮小した表現になっており、
適訳とは言えません。
1つ目の理由として、新改訳の訳文を日本語として自然に読んだ場合、
「たましいの救い」とペテロが呼んでいるものを、
私たちはすでに受けきっている、もう何も残されていない、と理解してしまいます。
しかし「得ている」と訳されているコミゾ-は、原文では現在形で書かれており、
現在進行形の含みがあるので、「得つつある」と訳したほうが良いのです。
2つ目の理由として、直前の文脈があります。
ペテロは1:4で
「朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです」
と言っており、
「救い」という概念の中に、将来受け取るように約束されているものを含めています。
実際、コミゾーには、「(約束のものを)受ける」というニュアンスがあります。
●義認だけではない
次に「結果」と訳されているテロスですが、
この言葉には、次のような意味合いがあります。
télos (a neuter noun) – properly, consummation (the end-goal, purpose), such as closure with all its results.
テロス:到達点(最終目標、目的)を意味する。例えば、すべての結果を伴った解決など。
このようにテロスという言葉には、
日本語の「結果」という言葉にはない、包括的なニュアンスがあります。
むしろこの箇所の文脈では、目的とか到達点という意味合いが強いのです。
前述のことも含めて9節を訳すと、
「信仰の到達点である、たましいの救いを受けつつあるからです」となり、
まだ受けるべき祝福が残されている、まだすべてを受けきったわけではない、
主の祝福はもっとあるのだ! というニュアンスが出ます。
1:13のペテロの言葉を見れば、これこそが正しいニュアンスだと言えます。
●まとめ
このようにペテロは、再臨の時に受ける恵みが残っている、と言っているのです。
だからこそ、それを「ひたすら待ち望みなさい」と。
言い換えると、ペテロが「たましいの救い」と呼んでいるものは、
単なる「義認」のことではなく、帰天までを含めた総合的な救いなのです。
私たちには、まだまだ祝福が残されているのです。
なので岩波翻訳委員会訳は、次のように訳しています。
彼を、あなたがたは見たことがないのに愛している。たとえ今は見ることができないとしても、信じているため、いい尽くせない、輝かしい喜びをもって歓喜している。
あなたがたは[あなたがたの]信仰の目的である魂の救いを手に入れつつあるからである。
岩波翻訳委員会訳1ペテロ1:8~9
↓最後までお付き合いくださりがとうございます↓