ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

【ミニ投稿】帰天までを含めた救い 1ペテロ1:9


 
 新改訳だと意味が縮小されてしまっている箇所の説明です。  
 
 
意味が縮小されている 
 
1ペテロ1:8~9 
あなたがたはイエス・キリストを見たことはないけれども愛しており、いま見てはいないけれども信じており、ことばに尽くすことのできない、栄えに満ちた喜びにおどっています。これは、信仰の結果である、たましいの救いを得ているからです
 
 
 9節(茶色の部分)の訳は、原文の意味を縮小した表現になっており、

 適訳とは言えません。

 
 1つ目の理由として、新改訳の訳文を日本語として自然に読んだ場合、
 
「たましいの救い」とペテロが呼んでいるものを、

 私たちはすでに受けきっている、もう何も残されていない、と理解してしまいます。

 
 しかし「得ている」と訳されているコミゾ-は、原文では現在形で書かれており、
 
 現在進行形の含みがあるので、「得つつある」と訳したほうが良いのです。
 
 
 2つ目の理由として、直前の文脈があります。
 
 ペテロは1:4
 
朽ちることも汚れることも、消えて行くこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました。これはあなたがたのために、天にたくわえられているのです
 
 と言っており、
 
「救い」という概念の中に、将来受け取るように約束されているものを含めています
 

 実際、コミゾーには、「(約束のものを)受ける」というニュアンスがあります。
 
 参考サイト:http://biblehub.com/greek/2865.htm(4のa参照)
 
 

義認だけではない 
 
 次に「結果」と訳されているテロスですが、
 
 この言葉には、次のような意味合いがあります。
 
 
télos (a neuter noun) – properly, consummation (the end-goal, purpose), such as closure with all its results.
 
テロス到達点(最終目標、目的)を意味する。例えば、すべての結果を伴った解決など。
 
 
 このようにテロスという言葉には、

 日本語の「結果」という言葉にはない、包括的なニュアンスがあります。

 むしろこの箇所の文脈では、目的とか到達点という意味合いが強いのです。


 前述のことも含めて9節を訳すと、
 
信仰の到達点である、たましいの救いを受けつつあるからですとなり、
 
 まだ受けるべき祝福が残されている、まだすべてを受けきったわけではない、
 
 主の祝福はもっとあるのだ! というニュアンスが出ます。
 
 
 1:13のペテロの言葉を見れば、これこそが正しいニュアンスだと言えます。
 
1:13 ですから、あなたがたは、心を引き締め、身を慎み、イエス・キリストの現われのときあなたがたにもたらされる恵みを、ひたすら待ち望みなさい
 
 
まとめ
 
 このようにペテロは、再臨の時に受ける恵みが残っている、と言っているのです。
 
 だからこそ、それを「ひたすら待ち望みなさい」と。
 
 言い換えると、ペテロが「たましいの救い」と呼んでいるものは、

 単なる「義認」のことではなく、帰天までを含めた総合的な救いなのです。
 
 私たちには、まだまだ祝福が残されているのです。

 
 なので岩波翻訳委員会訳は、次のように訳しています。
 
 
彼を、あなたがたは見たことがないのに愛している。たとえ今は見ることができないとしても、信じているため、いい尽くせない、輝かしい喜びをもって歓喜している。
あなたがたは[あなたがたの]信仰の目的である魂の救いを手に入れつつあるからである
                      岩波翻訳委員会訳1ペテロ1:8~9
 
 
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