ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

啓示における父なる神と御子の一致


 多目的贖罪論には、このブログではまだ全く触れていない内容が多々含まれますが、
 
 ごく単純に従来の救済論との違いを言うと次のようになります。
 
 カルビン主義は、キリストは一部の人の罪しか贖っていないと教えます。
 
 しかし実のところ、キリストは万人の罪を贖いましたので、その点で間違っています。
 
 一方、アルミニウス主義は、キリストは万人の罪を贖ったのだから、
 
 誰でも救われる可能性があると考え教えます。
 
 これは、神による予定を無視している点に欠陥があります。
 
 神に選ばれ、救いに予定されている人々は福音を聞くと救われますが、
 
 予定されていない人は信仰を持つことができません(使徒1348)。
 
 この記事でも、神による選びと救いの関係をさらに見ていきます。


啓示における父と御子の一致
 
マタイ11:25~27(新共同訳)
そのとき、イエスはこう言われた。「天地の主である父よ、あなたをほめたたえます。これらのことを知恵ある者や賢い者には隠して、幼子のような者にお示しになりました。
そうです、父よ、これは御心に適うことでした。
すべてのことは、父からわたしに任せられています。父のほかに子を知る者はなく、子と、子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません
 
 
 上記の箇所を見ると、父なる神が「知恵ある者や賢い者」には神の国の真理を隠し、
 
「幼子のような者」には示したことがわかります。
 
「示す」と訳されているアポカリュプトーは、「啓示するという意味の言葉です。
 

使用例:ローマ1:17~18 
 
なぜなら、福音のうちには神の義が啓示されていて、その義は、信仰に始まり信仰に進ませるからです。「義人は信仰によって生きる。」と書いてあるとおりです。というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。ローマ1:17~18
 
 
 新改訳では「幼子」と訳されているのでわかりにくいのですが、
 
 ネピオスには「子供のような者、無学な者」という比ゆ的な意味もあります。
 
 ですから父なる神は、子供のような者や無学な者には真理を啓示し、
 
 この世的な賢者には隠すのです。
 
 そしてイエスは、そのような選択的な啓示の仕方ゆえに父なる神を賛美しています。
 
 
 27節を見ると「父のほかに子を知る者はなく」とあり、
 
 人間は誰もキリストを知らないことが語られています。
 
 そして「子が示そうと思う者のほかには、父を知る者はいません」とあり、
 
 人間は父なる神も知らないことがわかります。
 
 神側からの啓示なしには、

 誰一人として神やキリストを知ることができません。
 
 このように父なる神も子なる神も、

 真理を啓示する相手を選択するという点において一致しています。
 
 言い換えると、

 人の救いは、父なる神と御子による選びと啓示に完全に依存しているということです
 
 父なる神と子なる神が真理を啓示することを望む者は救われますが、
 
 そうでない者は救われません。
 
 これはパウロの言葉と一致ます
 

1コリント1:27~28
しかし神は、知恵ある者をはずかしめるために、この世の愚かな者を選び、強い者をはずかしめるために、この世の弱い者を選ばれたのです。
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました・・・
 
 
 このように聖書は、

 父なる神とキリストが一致のうちに選ぶ人々だけが救われると教えています。
 
 私たちの救いは、父と御子の一致した選びに依存しているのです。