「教える」という言葉の意味 1テモテ2:12 前半
1テモテ2:12
私は、女が教えたり男を支配したりすることを許しません。ただ、静かにしていなさい。
女性が教えることが禁じられているのは確かなことです。
しかし重要なのは、
「教える」という言葉が原語においてどういう意味を持っていたかです。
「教える」と訳されているディダスコーという語は、
英語のteachや日本語の「教える」とは違う意味合いを持っています。
この箇所を原文で見ると、διδάσκειν(教えること)が冒頭に来ており、
パウロがこの言葉を強調していることがわかります。
強調している反面、何を教えるかは述べられていません。
ディダスコーすること自体を禁じています。
ディダスコーに、独特の意味合いがあったことが推測できます。
この記事では、
を参考文献として、聖書中のディダスコーの使われ方を調べ、
この言葉が持っている特別な意味合いを確認したいと思います。
「ディダスコーの具体的な対象は、神の意志である」と述べています。
以下は、その事例として挙げられている申命記の聖句です。
主は私に仰せられた。「民をわたしのもとに集めよ。わたしは彼らにわたしのことばを聞かせよう。それによって彼らが地上に生きている日の間、わたしを恐れることを学び、また彼らがその子どもたちに教えることができるように。」
②また別の説明としてこうあります。
申命記11:19
それをあなたがたの子どもたちに教えなさい。あなたが家にすわっているときも、道を歩くときも、寝るときも、起きるときも、それを唱えるように。
③以下の箇所のディダスコーは、
エレミヤ12:16
彼らが、かつて、わたしの民にバアルによって誓うことを教えたように、もし彼らがわたしの民の道をよく学び、わたしの名によって、『主は生きておられる。』と誓うなら、彼らは、わたしの民のうちに建てられよう。
④旧約聖書の後期に入ると、ディダスケインは、
「神の意志を総体的に啓示した律法を詳しく解説する」という意味合いを持ちます。
2歴代誌17:7
であったことを示している。」
マタイ11:1
マルコ4:1
ルカ6:6
ルカ4:16~21
それから、イエスはご自分の育ったナザレに行き、いつものとおり安息日に会堂にはいり、朗読しようとして立たれた。・・・「きょう、聖書のこのみことばが、あなたがたが聞いたとおり実現しました。」(この箇所以降も参照のこと)
「自分が朗読した箇所に基づいて解説を行う手法は、後期ユダヤ教の教え方であった。」
ヨハネ7:35
そこで、ユダヤ人たちは互いに言った。「私たちには、見つからないという。それならあの人はどこへ行こうとしているのか。まさかギリシヤ人の中に離散している人々のところへ行って、ギリシヤ人を教えるつもりではあるまい。」
②「直接的な霊感または啓示を含む」
1ヨハネ2:27
彼の油がす べてのことについてあなたがたを教えるように、――その教えは真理であって偽りではありません。――また、その油があなたがたに教えたとおりに、あなたが たはキリストのうちにとどまるのです。
①初期のディダスコーでは、「伝統的な言説からの移行が起こった」
使徒4:2
②「イエスが約束のメシアであることを、聖書から証明した」
つづく