患難前携挙説を信じるか、主イエスの言葉を信じるか
患難前携挙説によると、
教会による福音宣教は患難期の直前で完了し、教会は携挙されることになります。
この記事ではその点を検証します。
マタイ24:3
イエスがオリーブ山ですわっておられると、弟子たちが、ひそかにみもとに来て言った。「お話しください。いつ、そのようなことが起こるのでしょう。あなたの来られる時や世の終わりには、どんな前兆があるのでしょう。」
この話の舞台が「オリーブ山」であることは、注目に値すると思います。
ゼカリヤ14:4
その日、主の足は、エルサレムの東に面するオリーブ山の上に立つ。
まず24:3の「世の終わり」という表現は、
原文では「スンテリアス トウ アイオノス」と書かれています。
これについては後述します。
またこの箇所の「来られる時」という表現は、パルスィーアという言葉の訳語です。
弟子たちは、主が再臨してそのまま地上に滞在し、
統治し始めることを念頭に質問していることがわかります。
その質問に対する、主の答えが次の箇所です。
マタイ24:14
この御国の福音は全世界に宣べ伝えられて、すべての国民にあかしされ、それから、終わりの日が来ます。
前田訳がそのように訳しています。
そしてこのみ国の福音が全世界にのべ伝えられて、すべての民への証となろう。そのときにこそ終わりが来よう。
逆に言うと、福音宣教は終わりの日が来るまでつづくということです。
この点は重要です。患難前携挙説が広く信奉されているこんにち、
多くの教会では、携挙は今この瞬間にも起こるかもしれないと教えられています。
しかし主は、福音宣教は「終わりの日」が来るまでつづくと言っているからです。
そしてそれと同じことを言っているのが、大宣教命令の箇所です。
マタイ28:19~20
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして、父、子、聖霊の御名によってバプテスマを授け、また、わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい。見よ。わたしは、世の終わりまで、いつも、あなたがたとともにいます。
この箇所の「世の終わり」という表現も、
マタイ24:3と同じ「スンテリアス トウ アイオノス」です。
大宣教命令の箇所とマタイ24:14は、共通する言葉で書かれているわけです。
意味は「時代の完了」です。
次に「あらゆる国の人々」という表現ですが、これを原語で見ると、
マタイ24:14の「すべての国民」と同じ言葉の組み合わせであることがわかります。
要するに主イエスは、これら2つの箇所で同じことを言っているのです。
①福音はすべての民族に伝わる/伝えなさい
②福音宣教は、終わりの日まで続く/わたしはそれまで宣教者たちと共にいる
③「終わりの日」「世の終わり」はどちらも再臨を指す
主イエスは教会に、再臨に至るまで福音宣教をするように命じているのです。
困難な時代が来るけれども、主は共にいると。
●あとがき
患難前携挙説によると、福音宣教は患難期の直前に完了すると説明されています。
福音がすべての民族に伝わると、携挙が起こると言われています。
ですから患難前携挙説は、上記の聖書箇所で主イエスが語っていることと矛盾することになります。
☆ ☆
患難前携挙説は、こんにち多くのクリスチャンや教会で受け入れられています。
しかし聖書を詳しく調べてみると、
しばしば患難前携挙説の内容が聖書と食い違っていることがわかります。
私の感想としては、
患難前携挙説の説明よりも主イエスの言葉そのものを信じるべきだと思います。
主イエスは、こう言っておられます。
福音が全世界にのべ伝えられて、すべての民への証となろう。そのときにこそ終わりが来よう。マタイ24:14・前田訳