ダビデの日記

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霊魂消滅説は聖書的か?


 霊魂消滅説Annihilationism)とは、地獄に入れられた人の魂は消滅し、永遠に刑罰を受けることにはならないとする概念です。
 
 グレッグ・ボイド氏は、「万人を愛し死なれた神が、永遠の苦しみ以外に目的がない所に彼らの存在を置いたままにするだろうか?」と述べ、ブログ1において熱心に霊魂消滅説を説いています。
 
 霊魂消滅説論者は、この説に聖書的根拠があると述べていますが、果たして本当でしょうか?
 
1The Case for Annihilationism(霊魂消滅説の立場)
   
 
霊魂消滅説の主張
 
 ボイド氏は、次のように述べています。
 
 
伝統的解釈は、地獄は、意識のある状態で永遠に苦しむものだと考える。この伝統的解釈が、(数的に)遥かに優勢な見解である。…
 
それに対し霊魂消滅説論者は、永遠の地獄の教理を支持するために使われている箇所を、地獄は永遠に苦しむものではなく、永遠なのは結果だけだと解釈している。
 
救いに選ばれた人々が「永遠の贖い」(ヘブル9:12)に預かるのと同じように、地獄に堕ちた人々は「永遠の刑罰」(マタイ25:46)、「とこしえのさばき」(ヘブル6:2)、「永遠の滅び」(2テサロニケ1:9)を被る。
 
選ばれた人々は、贖いのプロセスを永久に通過するわけではない。彼らの贖いが永遠なのは、ひとたたび贖われたら、その贖いが永遠だという意味である。
 
同様に、地獄に堕ちた人々は、刑罰あるいは滅びのプロセスを永遠に通過するわけではなく、ひとたび彼らが罰せられたり、滅びに入れられたなら、それが永遠であると霊魂消滅説論者は説く。
 
(中略)
 
黙示録の「永遠に昼も夜も苦しみを受ける」という箇所については、これは象徴的な書物の黙示的イメージであり、字義通りに受け取るべきではないと霊魂消滅説論者は指摘している。
 
実際、黙示録ほど象徴的ではないイザヤ書でも、神の裁きは永遠という意味を持つ言葉によって描かれているが、文脈的にはそれを字義通りに受け取ることは不可能である。
 
イザヤはエドムを焼き尽くす炎が「夜も昼も消えず、いつまでもその煙は立ち上る。そこは代々にわたって、廃墟となり、だれも、もうそこを通る者はない」と書いている(イザヤ34:10)。
 
(しかし)これが強調表現であることは明白だ。というのは、エドムの裁きの炎や煙は、こんにち立ち上っていないからである。
 
イザヤ書においてそうであるなら、黙示録における類似表現も字義的に解釈しないほうがいいと、霊魂消滅説論者が考えるのは当然ではないだろうか?
 
                               (引用終わり)
 
 
「滅び」は「消滅」ではない
 
 ギリシャ語のワードスタディーをすると、霊魂消滅説にまったく不利な結果が出ます。
 
 
マタイ7:13 
狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。そして、そこからはいって行く者が多いのです。
 
1テモテ6:9 
金持ちになりたがる人たちは、誘惑とわなと、また人を滅びと破滅に投げ入れる、愚かで、有害な多くの欲とに陥ります。 
 
 
 上記の箇所で「滅び」と訳されているのは、アポレイアというギリシャ語です。
 
 この言葉をギリシャ語辞典(上のリンク)で調べると、次のように書かれています。
 
 
684/アポレイア(滅び)は「消滅」を意味せず(参照:語根動詞622/アポルミー:「切り離す」の意)、「幸福の喪失」を意味するもので、「存在の喪失」を意味しない。
 
 
 つまり、主イエスが「滅び」という場合、霊魂の消滅ではなく、人間としての幸福が永遠に失われることを言っているのです。
 
 
2テサロニケ1:9 
そのような人々は、主の御顔の前とその御力の栄光から退けられて、永遠の滅びの刑罰を受けるのです。
 
 
 この箇所はボイド氏も取り上げている箇所です。
 
 ここで「滅び」と訳されているのは、オレスロスという言葉です。
 
 この言葉をギリシャ語辞典で調べると、次のように書かれています。
 
 
3639/オレスロス(破滅)は、「絶滅」(消滅)を意味しない。むしろ、完全な「取り消し」を伴う、結果的な喪失を強調している。
 
 
 つまり、パウロが言うところの「滅び」にも「絶滅」とか「消滅」という意味はありません。
 
 この箇所は、再臨との絡みで滅びが論じられている箇所ですから、
 
 人生や時代の終わりまでイエスを拒み続けた人が、その結果として霊的破滅に行きつくことを「滅び」という言葉で表しているのです。
 
 
霊魂消滅説を言っているようにも受け取れる箇所
 
 私なりに霊魂消滅説の立場に立ってみて、この説を最も支持しそうな箇所を調べてみました。
 
マタイ10:28 
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。
 
 
 ゲヘナは地獄のことですから、この箇所の「滅ぼす」という部分に「消滅させる」という意味があるなら、霊魂消滅説は支持されることになります。
 
 しかし、この単語を調べてみると、アポルミーという動詞で、「切り離す」というのが原義です。
 
 先述したアポレイアの動詞形で、「悲惨な終わりを経験し、失われる原因を引き越す」という意味しかありません。
 
「消滅させる」という意味はありません。
 
 
霊魂消滅説をサポートしうる唯一の箇所
 
 
 上記のリンクでは、新約聖書中で使われている「破壊」や「滅び」を意味するギリシャ語、及びその動詞形を調べることができます。
 
 15種類のギリシャ語が出ている中で、一つだけ「消滅する、絶滅する」という意味のある単語があり、新約聖書1度だけ、使徒3:23で使われています。
 
 新約聖書の中で唯一、霊魂消滅説をサポートするかもしれない箇所と言えます。
 
 
使徒3:23 
その預言者に聞き従わない者はだれでも、民の中から滅ぼし絶やされる
 
 
 この箇所で「滅ぼし絶やす」と訳されているのは、エクソレスルオーという言葉で、「消滅させる、絶滅させる」という意味があります。
 
「その預言者」はイエス・キリストを指しており、その言葉に従わない者は「だれでも…滅ぼし絶やされる」とあります。
 
 なので、この箇所は、一見、霊魂消滅説をサポートしているかのように思えます。
 
 しかし、よく読むと、「民の中から」というフレーズがついています。
 
 ペテロは、主イエスに聞き従わない者は、主の民というコミュニティーから「消滅する」と言っているにすぎません。
 
 そういう人は主の民の一員ではなくなると言っているだけで、その人の霊魂が地獄の中で「消滅する」とは言っていないのです。
 
  そういうわけで、新約聖書の「滅び」「滅びる」「滅ぼす」という表現は、霊魂消滅説をまったくサポートしません。
 
 使われている原語にそのような意味がないのですから、霊魂の消滅を意味しようがありません。
 
 ボイド氏の解釈は原語の意味を無視しており、解釈に無理があると言わざるを得ません。
 
 
●あとがき
 
 これらのことから、霊魂消滅説は聖書的とは言えません。
 
 地獄において、滅びに定められた人の霊魂が消滅することを意味する聖書箇所がないからです。
 
 そういう箇所がない以上、地獄に堕ちた人々の霊魂は、永遠に存在しながら、永遠に刑罰を受けつづけると解釈すべきです。
 
 
 終わり