ヨハネ14:2~3は携挙の描写?
ヨハネ14:2~3は『患難期後携挙説』を支持する人には、説明のつかない聖句です。
なぜなら、携挙されてもすぐに主と共に地上に降りて来て、千年王国に住まうわけですから、天に行き、主が備えられた場所に『住む』理由がないからです。
(強調はダビデ)
上記の主張は、ヨハネ14:2~3が携挙についての描写だということが前提になっています。
今から、この箇所の意味が携挙ではないことを説明し、患難後携挙説の支持者のほうがこの箇所を正しく解釈できることを証明します。
2 わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。もしなかったら、あなたがたに言っておいたでしょう。あなたがたのために、わたしは場所を備えに行くのです。
3 わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。
この箇所を正しく理解するには、著者であるヨハネの視点で見ればいいわけです。
2節前半
ἐν τῇ οἰκίᾳ τοῦ πατρός μου μοναὶ πολλαί εἰσιν
家には わたしの父の 住む所 たくさんある
ヨハネ14:2の「住まい」の部分には、μοναὶと書かれています。
モネは、新約聖書中に2回しか使われていません。
もう一カ所は、同じヨハネ14章の23節です。
ヨハネ14:23
μονὴν παρ᾽ αὐτῷ ποιησόμεθα
住むところ その人と共に 私たちは作る
上記のとおり、23節の最後の部分にモネが使われています。
この部分を直訳すると、「わたしたちは、その人と共に住むところを作ります(未来形)」となります。
このモネの使われ方によって、14:2~3が14:23と関連していることがわかります。
そして、その関連性の実質的な意味合いは、キリストや父なる神が信者と一体になることを指していることがわかります。
また、17節や18節も参考になります。
ヨハネ14:17~18
17 その方は、真理の御霊です。世はその方を受け入れることができません。世はその方を見もせず、知りもしないからです。しかし、あなたがたはその方を知っています。その方はあなたがたとともに住み、あなたがたのうちにおられるからです。
18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
18 わたしは、あなたがたを捨てて孤児にはしません。わたしは、あなたがたのところに戻って来るのです。
παρ᾽ ὑμῖν μένει
と共に あなたがた 彼は住む
これらのことからわかるのは、14:2~3の発言の内容が、17節や18節で説明されているということです。
そして、その内容は、御霊として地上に戻ってくる主が、信者を神の住まいにするということです。
「あなたがたのうちにおられる」という表現から、御霊の内住のことであるとわかります。
これは、先ほどの23節と同じ内容です。
言い換えると、御霊として戻ってきた主が信者と一体になり、救いのわざを行うということを、主は言っておられるのです。
3節の「あなたがたをわたしのもとに迎えます」というのは、携挙によって天国に迎えるという意味ではなく、
御霊によって信者と一体になることによって、信者をキリストご自身のもとに迎えるという意味です。
この3節の「迎えます」には、深い意味が暗示されている可能性があります。
マタイ1:20と24では、マリヤを妻として迎えることを表現するために使われているからです。
つまり、3節で「あなたがたを迎えます」と言うことによって、主はご自分と信者の結婚を意味している可能性があるのです(エペソ5:25~)。
御霊によって一体になるというのは、主から見るとそういうことなのです。
また、3節の「わたしのいる所に、あなたがたをもおらせる」というのは、コロサイ3:2~3が参考になります。
コロサイ3:2~3
あなたがたは、地上のものを思わず、天にあるものを思いなさい。
あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。
コロサイ3:3の「あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてある」というのは、とても不思議な概念です。
私たちの存在は地上にあっても、私たちのいのちは、キリストとともに天国にあります。
ゆえに、私たちは地上で生きていても、国籍は天にあります(ピリピ3:20)。
このように、ヨハネ14:2~3で主が言っておられるのは、主が御霊として地上に戻って来られて信者と一体になることです。
この見方は、18節の「あなたがたを捨てて孤児にはしません」とも整合します。
また同時に、私たちが救われて神の国の住民になることであり、キリストの花嫁になることでもあります。
これらの事実は、地上にいようと天にいようと、変わりません。
こういうわけで、ヨハネ14:2~3は、携挙の話をしているのではなく、キリストにある救いの話をしているのです。
この結論から、患難前携挙説のヨハネ14:2~3の箇所の解釈は、まったくの思い込みであることがはっきりしました。
●あとがき
患難前携挙説が思い込みを前提にした聖書解釈をしていることがお分かりいただけたと思います。
患難前携挙説を信じてしまうと、聖書のいろいろな部分の解釈にも悪影響を及ぼします。
この点からも、患難前携挙説を信じることはクリスチャンにとって益にならないと言えます。
終わり