ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

神の啓示は今も続いている?

 
 私は先日、キリスト教動画サイト「STONE OF DAVID」を知りました。
 
 このサイトは、いわゆる「新しい啓示」を広めています。
 
 神の啓示を受けたとする海外の信者の動画に、日本語の字幕をつけて公開しています。
 
 一例として、「7歳の少女が見た終末・地獄・天国の幻」という動画を取り上げます。
 
 動画には、次のような説明があります。
 
7歳の少女が、イエス様から与えられたショッキングな幻について語ってくれています。彼女が見た重大で深刻な幻について語ることは、幼い彼女にとっては容易なことではありませんでした。それでも、人々と分かち合うように主に命じられた彼女は「神様の仕事だから」と力をふりしぼって私達とシェアしてくれています。彼女の神への忠誠心と愛にリスペクト!!
                             (強調はブログ主)
 
 
   (字幕をオンにすると、邦語の字幕が表示されます)


 動画を見ますと、少女は時に涙しながら、終末や地獄の惨劇を真摯に証言しています。
 
 また、天国の幻を話す際は、喜びながら次のように語っています。 
 
「(天国では)好きなだけアイスクリームが食べられるの1106
  
 天国で「好きなだけアイスクリームが食べられる」というのは、聖書のどこにも書かれていない「新しい啓示」です。
 
 こうした「新しい啓示」は、今も続いているのでしょうか?
 
 今回は、聖書に照らしてこのアジェンダを考えたいと思います。
 

神の啓示は完結している

 いたいけな少女が語ると可愛らしいのですが、こうした「新しい啓示」には重大な問題があります。
 
 それは、動画の説明に見られる「エス様から与えられた」という表現に集約されています。
 
 実のところ、主イエスがこのような「新しい啓示」を与える可能性はゼロです。
 
 
へブル1:12b 
神は、むかし先祖たちに、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。
 
 
 この箇所にあるとおり、神はこの終わりの時代に、御子イエスを通して人類に語られました。
 
 この箇所を原文で見ると、「私たちに語られました」の「語られた」に当たるエラレーセンがアオリスト過去形・直接法で書かれています(参照:バイブル・ハブ)。
 
 ここで、アオリストの役割を見てみましょう。
 
 
直説法においてはアオリストは過去の動作について総括的にまた完結した出来事として述べる
                         出典:Wikipediaアオリスト
 
 これを、へブルの箇所に当てはめると何がわかるでしょうか?
 
 それは、人類に対する神の啓示がすでに「完結した出来事」であるということです。
 
 つまり神の啓示は、すでに終わっているのです。
 
 もし、今も神の啓示が続いているのであれば、アオリスト過去形ではなく現在形で書かれていなければなりません。
 
 つまり、こんにち「新しい啓示」は、もはや存在しないのです。
 
 もし、それがあると主張するなら、へブル書の箇所を否定することになります。
 
 聖書の啓示が完結していることから、学者たちは「聖書は閉じた書物」「閉じた正典」などと表現します。
 
 
羊は今も主の御声を聞く
 
 ただし、これは、主が信者に対して今はもう何も語らないという意味ではありません。
 
 
わたしの羊はわたしの声を聞き分けます。またわたしは彼らを知っています。そして彼らはわたしについて来ます。
 
 
 この箇所の「聞き分ける」と訳された動詞は、現在形です。
 
 ギリシャ語の現在形には、動作の継続を示す役割があります。
 
 つまり、個人的に主に従うために必要な事柄については主が今も語られ、羊は今も主の御声を聞けるのです
 
 しかし、これはすでに与えられた啓示の範囲内で語られるのです(エペソ2:20参照)。
 
 その範囲を超えた語り掛けは、主イエスのものではありません。
 
 へブル書にあるとおり、神の啓示はすでに完結しているからです。
 
 
 
「新しい啓示」があると主張するカルトの最たる実例と言えば、ほかならぬモルモン教です。
 
 開祖のジョセフ・スミスは、天使との出会いを通して「新しい啓示」を受けました。
 
 ですからモルモン教は、公然と「新しい啓示」を肯定しています。
 
 以下に、それを示す文章を引用します。
 
大多数のクリスチャンは,キリストの死から間もなく,聖文として使われていた啓示を集めた権威ある正典を神が閉じてしまわれたと信じ,そのときからそれに匹敵する啓示は存在しなくなったと信じています。しかしジョセフ・スミスは,正典は完結しておらず,開かれたままであると教え,それを身をもって示しました(『歴代大管長の教えジョセフ・スミス』195を参照)。 
 
……ジョセフ・スミスは,神が既存の正典に新たに付け加えることによって子供たちをお導きになると教えました。モルモン書はその一つです。
 
 
 
 ジョセフ・スミスの考えと教えが、へブル書の記述と食い違っていることにお気づきだと思います。
 
 このように、「新しい啓示」を肯定するとは、カルトの特徴の一つなのです。
 
 
●まとめ
 
 冒頭で取り上げたYouTube動画「STONE OF DAVID」も、モルモン教と同じ要素を持っています。
 
「新しい啓示」を肯定し、それを動画配信しているからです。
 
 その動画で語れているのは、紛れもなく「新しい啓示」です。
 
 モルモンの言葉を借りて言い換えるなら、「STONE OF DAVID」は「既存の正典に新たに付け加え」ものを配信しているのです。
 
 これがカルトでなくて何だというのでしょうか?
 
「新しい啓示」はカルトの入口であり、特徴なのです。 
 
 おわり