ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

死者のバプテスマ

「もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。」Ⅰコリント15:29

この箇所の解釈は、200種類もあるそうです。

しばらく前、セカンドチャンス論というのが流行りましたが、もちろんそれは大きな間違いです。

確かに「(死者の)ために」の「ために」に当たるギリシャ語の前置詞はヒューパーといい、「~代わりに」という意味です。

例えばⅡコリント5:21の神がキリストを「私たちの代わりに罪とされました」の「代わりに」の部分と同じ単語です。

しかし救いはあくまで、神が特定の個人に対して起こす働きです。神のとの個人的な関係が変化する問題です。

ローマ3:22にあるとおり、「(神の義は)すべての信じる人に与えられる」ものですから、AさんがBさんの「代わりに」洗礼を受けたからといって、Bさんが「信じる人」になるわけではないのです。

Aさんがキリストを信じていて、Bさんの代わりに洗礼を受けても、それによってBさんが聖霊によってボーンアゲンしません。

ボーンアゲンしなければ人は神の国に入れませんが、ボーンアゲンとは「上(神)から生まれる」ことであって、御霊が「思いのままに」起こす霊的な創造です(ヨハネ3:5~8、Ⅱコリント5:17)。

三者は、他人の救いを決定づける働きは決してできません。救いの全権は神が握っているからです。

ですからセカンドチャンス論は、どう考えても聖書全体の教義にそぐいません。

●Ⅱコリ15:29の解釈
では、この箇所はどう解釈すればよいのでしょうか。

ニュー・イングリッシュ・トランスレーション・バイブル(NET BIBLE)という聖書に掲載されている注釈をご紹介します。

以下の解釈は、200種類ある解釈をまとめた、トンプソンという学者の論文の中で、最も妥当性が高いと結論付けられた説だということです。
 

「コリントの教会には、水の洗礼を受けずして死んでしまった信者が何人かいました。

彼らの信仰を証しするために、代わりに洗礼を受けた信者たちがいました。

パウロは、コリント教会で行われていたそのことを、批判するのでもなく、推奨するのでもなく、

15:12から述べ始めた死者の復活というテーマを説明する上での、単なる引き合いとして使っているのです。」
 

私たちは、「教えの風に吹きまわされたり、波にもてあそばれたりする」ことがないように注意しましょう(エペソ4:14)。