神の言葉を取り扱う人の心の姿勢とは? 2コリント2:17
今日の学びからです。
●混ぜ物をして売る?
新改訳2コリント2:17
私たちは、多くの人のように、神のことばに混ぜ物をして売るようなことはせず、真心から、また神によって、神の御前でキリストにあって語るのです。
そのため、「混ぜ物をする」という部分が強く印象に残ります。
ところが原文のほうでは、そういう意味で書かれていません。
●貪欲の否定
「小売業者になる、行商をする」「何かを売ってお金を儲ける」という意味です。
This verb is confined in Biblical Greek to 2 Corinthians 2:17, where the meaning ";deal in for purposes of gain"; rather than ";adulterate";
この動詞が使われているのは、2コリント2:17だけである。その箇所の意味は、「もうけることを目的にして取引をする」で、「(混ぜ物をして)品質を落とす」ではない。
NETバイブルの翻訳者ノートにも同様の注釈が書かれています。
The participle καπηλεύοντες (kaphleuonte") refers to those engaged in retail business, but with the negative connotations of deceptiveness and greed – “to peddle for profit,” “to huckster” (L&N 57.202). In the translation a noun form (“hucksters”) has been used in combination with the English verb “peddle…for profit” to convey the negative connotations of this term.
カペリュオンテという分詞は、小売業に従事する者を指しているが、「利益のために売り歩く」「押し売りをする」など、人をだます性質や貪欲という否定的な含みがある。(中略)
●誠実さから出た者
これだと、「~のように/~として」を意味するホスが無視された状態です。
この部分は、原文の構造をよく見てみる必要があります。
わかりやすくするため、ホスを揃えて書いてみしょう。
オウ ガル エスメン,
~ではなく 実に 私たちは
ホス ホイ ポロイ ・・・
~のように 定冠詞 多くの者 ・・・
アル ホス エク エイリカリネイアス,
しかし ~のように ~から出た 誠実さ/純粋さ
アル ホス エク セオウ
しかし ~のように ~から出た 神
上記のように、原文ではホスという副詞が3回繰り返されています。
この繰り返しには、当然意味があります。
2回目と3回目は、1回目との対比なので、
2回目と3回目も人のことを言っていることに気づく必要があります。
1回目 ホス + 多くの者
2回目 ホス + 誠実さから出た(者)
3回目 ホス + 神から出た(者)
教科書の著者マウンスは、次のように訳しています。
For we are not like so many, peddling the word of God. To the contrary, in Christ we speak in the sight of God as men of sincerity, as men sent from God.
というのは、私たちは大勢の者たちのように神の言葉を売り歩く者ではなく、それとは反対に、キリストにあって、神の御前で誠実の人として、神から遣わされた者として語っているのです。
●御言葉に対する心の姿勢
しかしこの箇所でパウロが云わんとしているのは、何かを混ぜるという行為についてではなく、御言葉を取り扱う人の心の姿勢に関してです。
日本語の聖書の中では、岩波翻訳委員会訳がいちばん原文に近い意味を伝えていると思われます。
岩波翻訳委員会訳2コリント2:17
たしかに私たち〔こそ〕、多くの人たちのように神の言葉を売り物にはしておらず、むしろ純粋さから〔出た者〕として、〔また〕むしろ神から〔出た者〕として、神の前で、キリストにあって語っている。
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