【ミニ投稿】すでにキリストにあずかっている へブル3:14
新改訳聖書をお使いの方には、新鮮な発見になるかもしれません。
●すでに「あずかる者」になっている
新改訳へブル3:14
もし最初の確信を終わりまでしっかり保ちさえすれば、私たちは、キリストにあずかる者となるのです。
岩波翻訳委員会訳へブル3:14
というのは私たちは、はじめのものを終りまでしっかりしたものとして堅持[さえ]しているなら、キリストに参与するものとなっているのである。
両者を読み比べていただくとお分かりいただけると思いますが、
聖句の後半部分の時制に相違があります。
新改訳では、キリストに預かることが未来に成就するものとして訳されていますが、
岩波のほうは、すでに完了していることとして訳されています。
原文
メトホイ ガール トゥー クリストゥー ゲゴナメン、
共同所有者 実に 定冠詞 キリストの すでに~になっている(完了形)
エアーンペル テン アルヘン テス フポスタセオウス、
もし(強意) 定冠詞手 はじめ 定冠詞 確信
メフリ テロス ベバイアン カタスホメン
~まで 終わり 固く しっかり保持する/所有する
なので、「すでに~になっている」と訳さなければなりません。
ゆえに、岩波翻訳委員会訳が正しい訳ということになります。
しかも原文では、日本語訳の後半部分が前半に来ていますので、
へブル書の著者は、へブル人クリスチャンたちが、
すでにキリストの共同所有者になっていることを強調しているのです。
●解説
著名な聖書ギリシャ語学者である故ケネス・ウースト博士(ムーディー・バイブル・インスティテゥート)の解説を抄訳します。
ギリシャ語の完了形は、過去に完了した行為が、現在の結果に現れていることを意味する。
つまり、もし1世紀のユダヤ人たちが生涯の終わりまでメシア信仰を維持するなら、
それは彼らが、過去においてすでにメシアに預かる者となっていた、ということであり、
その結果として、現在、メシアに預かる者であることを意味する。
この箇所で重要な点は、
忍耐によって救いを維持するということではなく、
すでに救いを所有しているということであり、
信じつづけることによって、それが証明されるということである。
アーメン、アーメン、あなたがたに言う。私のことばを聞いて私を派遣した方の言うことを信じる人は永遠の命を持っており、さばきに陥ることなく、死から命へと〔すでに〕移ってしまっている。
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