死とハデスの権威を持つ方 黙示録1:18
黙示録1:18
生きている者である。わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。
原文を見ると、「生きている者」の部分は、
「the living/生きているもの」という表現がされており、
イエスが生きていることが強調されています。
「わたしは死んだが」の部分は、「わたしは死者だったが」と訳して、
「生きている者」と対比させたほうが良いようです。
「わたしは死んだが」の部分には、もう一つ考慮すべき言葉があります。
先日取り上げた、「私は御霊の中にいた」というフレーズに使われていた、
ですからこの部分は、死者になったことが明確に伝わる表現にしないといけません。
もう一つ言うと、この部分はアオリスト過去形で書かれているため、
何度も死者になったのではなく、一定の期間一度だけ死者になった、
というニュアンスがあります。
岩波訳は、これらを正確に訳出しています。
岩波翻訳委員会訳
また〔現在〕生きている者である。私は一度は死人となったが、しかし見よ、今や世々永遠に生ける者である。
●死とハデスの権威者
「死とハデスとのかぎを持っている」という部分ですが、
鍵は複数形で書かれています。
ですからイエスは、死の鍵とハデスの鍵の2種類の鍵を持っているのです。
さらに、鍵は「持つ」という動詞の目的語になっていることから、
鍵の持ち主に、死とハデスを開閉する権威と力があることがわかります。
このように、イエスが死とハデスの権威者であることが描写されています。
●まとめ
イエスが死とハデスの権威を持てた理由は、実際に死者になった経験があり、
その上で復活したからです。
死者になったことと生き返ったことが確かだからこそ、
死に対する権威を持つことができます。
この意味でも、「わたしは一度死者になった」という部分は重要で、
このフレーズが、死とハデスの権威者たる所以を物語っています。
死とハデスの権威を持てる可能性がありません。
死んで蘇ったのはイエスだけですから、
死とハデスの権威を持てるのもイエスだけなのです。
私たちは、恵みによって本物の権威者に出会うことができました。
ありがたいことです。
死とハデスはイエスの勝利に飲まれたので、
私たちはもはやそれらを恐れる必要がありません。
キリストが再臨するとき、私たちは不死の体を身にまとうのです。ハレルヤ!
1コリント15:54~55
朽ちるものが朽ちないものを着、死ぬものが不死を着るとき、「死は勝利にのまれた。」としるされている、みことばが実現します。
「死よ。おまえの勝利はどこにあるのか。死よ。おまえのとげはどこにあるのか。」
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