「霊において貧しい者たち」に関する考察 マタイ5:3
取り上げる順番が逆だろと言われそうですが、今更ながらマタイ5:3です。
聖書協会共同訳
心の貧しい人々は、幸いである。天の国はその人たちのものである。
直訳「霊において貧しい人々」
新改訳2017
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだからです。
新共同訳
心の貧しい人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。
新改訳
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
前田訳
さいわいなのは霊に貧しい人々、天国は彼らのものだから。
なぜ邦語訳は「霊」という意味のプニューマを「心」と訳すのでしょうか?
聖書協会共同訳が辛うじて注釈欄に直訳を掲載しているだけで、本文で「霊」と訳しているのは前田訳だけです。
とてもすべてを書き写すわけにはいきませんが、一カ所だけ「心」と書かれている箇所がありますので、そこを抜粋します。
③(人格三分の視点から人の霊の部分と解されたが) ”息”で命を支えられる存在、生かされている者、人間、霊(的存在)…(d)(息吹の厳密な内容から精神の意味に転用)心、思い、態度.1コリ4:21、カルディア等の広い意味に代用.
(P474~P475)
●「貧しい」の意味
①(a)乞食(こじき)のような、乞食同然の;(b)貧しい、貧乏な、窮乏している、困窮している;(中略)ホイ プトーコイ トー プニューマティ、霊で貧しい者たち、霊で自分の貧困を意識する者たち、自らの霊性で自分が神の前に無一物、乞食同然であることを知る人々、マタ5:3.
(P511)
ご覧のとおり、マタイ5:3を「霊で貧しい者たち」と訳しておられます。
これを読む限り、「霊において」と訳したほうが良いのではないでしょうか。
霊的に乞食同然だからこそ、神の(国の)豊かさを求めるのではないでしょうか。
それゆえ、イエスさまは、天の御国は貧しい人たちのものだと言われたのではないでしょうか(ルカ6:20)。
●「霊」と訳すべき根拠
上述のとおり、プニューマにも「心」という意味はありますが、マタイ5:3を「心」と訳すことには若干の問題を感じます。
理由1
それはマタイ5:8を見るとわかります。
マタイ5:8
心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
そうです。ギリシャ語には「心」を意味する別の言葉があるのです。
「心」と言いたいなら、カルディアを選ばせたはずです。
神の霊感を重視するなら、ここは「霊に貧しい者たち」と訳すべきだと思います。
理由2
NASB Translation
breath (3), Spirit (241), spirit (101), spirits (32), spiritual (1), wind (1), winds (1).
息(3回)、御霊(241回)、霊(101回)、霊の複数形(32回)、霊的な(1回)、風(1回)、風の複数形(1回)
これらが示すのは、プニューマに「心」という意味があるとしても、主要な意味ではないということです。
理由3
Blessed are the poor in spirit. 幸いなるかな、霊において貧しき者たち。
欧米の聖書翻訳の歴史は長いので、英語訳は軽視できません。
英語訳が「霊において貧しい」と訳しているなら、それが正しい可能性は大です。
●表現の意味 その1
The poor in spirit is a reference to the”pious poor”for whom God especially cares. See Ps 14:6; 22:24; 25:16; 34:6; 40:17; 69:29.
霊において貧しい者とは「敬虔な貧者」を指すもので、神が特に気に留める者のことである。参照箇所:詩篇14:6、同22:24、同25:16、同34:6、同40:17、同69:29.
詩篇14:6
おまえたちは、悩む者のはかりごとをはずかしめようとするだろう。しかし、主が彼の避け所である。
詩篇22:24
まことに、主は悩む者の悩みをさげすむことなく、いとうことなく、御顔を隠されもしなかった。むしろ、彼が助けを叫び求めたとき、聞いてくださった。
詩篇25:16
私に御顔を向け、私をあわれんでください。私はただひとりで、悩んでいます。
詩篇34:6
この悩む者が呼ばわったとき、主は聞かれた。こうして、彼らはすべての苦しみから救われた。
詩篇40:17
私は悩む者、貧しい者です。主よ。私を顧みてください。あなたは私の助け、私を助け出す方。わが神よ。遅れないでください。
詩篇69:29
しかし私は悩み、痛んでいます。神よ。御救いが私を高く上げてくださるように。
●表現の意味 その2
ヤコブ2:5
よく聞きなさい。愛する兄弟たち。神は、この世の貧しい人たち(プトーコス)を選んで信仰に富む者とし、神を愛する者に約束されている御国を相続する者とされたではありませんか。
ヤコブの言葉は、マタイの並行記事であるルカの箇所を思い起こさせます。
ルカ6:20
パウロも似たようなことを書いています。
1コリント1:28~29
また、この世の取るに足りない者や見下されている者を、神は選ばれました。すなわち、有るものをない者のようにするため、無に等しいものを選ばれたのです。29 これは、神の御前でだれをも誇らせないためです。
●まとめ
これまでのことを総括するなら、マタイ5:3のプニューマは「霊」と訳したほうが良いのではないでしょうか。
おわり