「聖書協会共同訳」で改善された箇所 ヤコブ4:5
これまでの記事では、聖書協会共同訳によって聖書翻訳が改悪された箇所を取り上げてきました。
しかし今回は、改善された箇所を取り上げます。
●ヤコブ4:5
少し長いのですが、文脈の中でヤコブ4:5を見ておきましょう。
新改訳1970
1 何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか。
2 あなたがたは、ほしがっても自分のものにならないと、人殺しをするのです。うらやんでも手に入れることができないと、争ったり、戦ったりするのです。あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからです。
3 願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で願うからです。
4 貞操のない人たち。世を愛することは神に敵することであることがわからないのですか。世の友となりたいと思ったら、その人は自分を神の敵としているのです。
5 それとも、「神は、私たちのうちに住まわせた御霊を、ねたむほどに慕っておられる。」という聖書のことばが、無意味だと思うのですか。
6 しかし、神は、さらに豊かな恵みを与えてくださいます。ですから、こう言われています。「神は、高ぶる者を退け、へりくだる者に恵みをお授けになる。」
新共同訳
5 それとも、聖書に次のように書かれているのは意味がないと思うのですか。「神はわたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに深く愛しておられ、
口語訳
5 それとも、「神は、わたしたちの内に住まわせた霊を、ねたむほどに愛しておられる」と聖書に書いてあるのは、むなしい言葉だと思うのか。
聖書協会共同訳(P415)
5 それともあなたがたは、聖書が空しい言葉を語っていると思うのですか。私たちの内に宿った霊が、妬みに燃えるのです。
●文脈と5節の関係
1節から4 節は、信者の内側に悪があると一貫して述べています。
この文脈に対して、従来の聖書では、5節が次のような構造になっています。
①新改訳
神が、信者のうちに住まわせた「御霊」を妬んでいる
(妬むという行為の主体者は「神」)
②新共同訳と口語訳
神が、信者のうちに住まわせた「霊」を妬む
(妬むという行為の主体者は「神」)
③聖書協会共同訳
信者のうちに宿った「霊」が妬む
(人の霊には、妬むという性質がある)
従来の翻訳では、1節から4節の文脈(人の内側に悪がある)と5節の内容(神が妬む)が不整合を起こしています。
しかし著者のヤコブは、「妬む」ことは「悪い動機で願う」ことに含まれると述べています(3節)。
ですから、従来の聖書のように訳していまいますと、ヤコブの意に反して神が悪者になってしまうのです。
しかし聖書協会共同訳の訳文では、人の霊に「妬む」という悪い性質があるという点で一貫しています。
このように訳すなら、人の内側に悪があることになります。
ヤコブは4:8で、「罪ある人たち。手を洗いきよめなさい」と読者を叱責しています。
ヤコブから見ると、読者のクリスチャンたちは「罪ある人たち」なのです。
ですから、一貫して信者の内側に悪があると訳している聖書協会共同訳が正しい翻訳をしていると言えます。
ちなみに、英訳の聖書には、同じように訳しているものが複数あります。
以下の英語版はどれも、信者の霊が妬むという訳文になっています。
NETバイブル
The spirit that God caused to live within us has an envious yearning
神が私たちのうちに住まわせた霊は、妬みの願望を持っている
NIV(新国際訳)
the spirit he caused to live in us envies intensely
彼(神)が私たちのうちに住まわせた霊は、激しく妬む
NLT(ニューリビングトランスレーション)
the spirit God has placed within us is filled with envy
神が私たちのうちに置いた霊は、妬みで満たされている
KJV(欽定訳)
The spirit that dwelleth in us lusteth to envy
私たちのうちに住まう霊は、妬みたがる
●まとめ
上記のとおり、今回は聖書協会共同訳が正しい翻訳をした事例を取り上げました。
ヤコブ4章を正しく理解されたい方は、聖書協会共同訳を読まれると良いと思います。
おわり