ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

聖書の教義

聖霊のバプテスマ その4

補足 聖霊は人格です。 人も人格です。 人格同士が一体になるということは、聖霊の思いが私の思いになり、私を通して聖霊が語り、私を通して聖霊の力が働くということです。 使徒の働きの2章や3章でペテロを通して起こったことは、そういうことだと思いま…

聖霊のバプテスマ その3

バプテスマという言葉のニュアンス これまでの記事を通して、福音派とカリスマ・ペンテコステ派双方の立場から聖霊のバプテスマを考えました。 どちらか片方の見地だけでは、聖書が述べているところの聖霊のバプテスマの意味を完全にカバーすることはできま…

聖霊のバプテスマ その2

「さあ、わたしは、わたしの父の約束してくださったものをあなたがたに送ります。あなたがたは、いと高き所から力を着せられるまでは、都にとどまっていなさい。」ルカ24:49 「エルサレムを離れないで、わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。ヨハネは…

聖霊のバプテスマ その1

「その方は、あなたがたに聖霊と火とのバプテスマをお授けになります。手に箕を持っておられ、ご自分の脱穀場をすみずみまできよめられます。麦を倉に納め、殻を消えない火で焼き尽くされます。」マタイ3:11~12 ある兄弟から尋ねられ、緊急に記事にす…

完全な救い

「ああ愚かなガラテヤ人。十字架につけられたイエス・キリストが、あなたがたの目の前に、あんなにはっきりと示されたのに、だれがあなたがたを迷わせたのですか。ただこれだけをあなたがたから聞いておきおきたい。あなたがたが御霊を受けたのは、律法を行…

未信者と信者の結婚関係 その2

前回の日記の続編のようなものです。 ●つり合わぬくびき クリスチャンは、神の国の国民です(ピリピ3:20)。「神に選ばれた者」です(コロサイ3:12、ローマ8:33)。一方、未信者は、霊的には異邦人です(エペソ2:12)。聖書の神は、神の民が…

未信者と信者の夫婦関係

「なぜなら、信者でない夫は妻によって聖められており、また、信者でない妻も信者の夫によって聖められているからです。そうでなかったら、あなたがたの子どもは汚れているわけです。ところが、現に聖いのです。」Ⅰコリント7:14 この箇所をどう解釈した…

死者のバプテスマ

「もしこうでなかったら、死者のゆえにバプテスマを受ける人たちは、何のためにそうするのですか。もし、死者は決してよみがえらないのなら、なぜその人たちは、死者のゆえにバプテスマを受けるのですか。」Ⅰコリント15:29 この箇所の解釈は、200種…

キリスト以前の信者の救い

以下の文章は次のURLから転載したものです。http://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-before-Jesus.html 質問: イエスが罪のために死なれる前、人はどうやって救われたのですか? 答え: 人間が堕落して以来、救いの基礎はいつもキリストの死でし…

聖霊の満たし

「御霊に満たされなさい」 エペソ5:18 「満たす」というギリシャ語の原義は、(穴やくぼみを)「埋めて平らにする」、「詰め込む」です。 これを私たちの心や思いに当てはめてみるとどうなるでしょうか。 私たちの内側が聖霊によって埋められ詰め込まれ…

ドーマギフト

ドーマギフト 「私たちはひとりひとり、キリストの賜物の量りに従って恵みを与えられました。そこで、こう言われています。 『高い所に上られたとき、彼は多くの捕虜を引き連れ、人々に賜物を分け与えられた。』 ~この『上られた』ということばは、彼がまず…

救いの確信を得るには

救いの確信を得るには 1.救いの確信を得るためにあなたは感情や感覚に頼っていませんか?救いの確信は、神の言葉に信頼することによって得られるものです。例えば、次のようなの御言葉に信頼しましょう。 「この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信…

「あなたは本当に救われていますか?」

「あなたは本当に救われていますか?」~Ⅰヨハネより~ 以下の質問はすべて「ヨハネの手紙第一」に由来するもので、本当に救われている人の特徴を質問形式にしたものです。 Q1:あなたは、キリストとの交わりを楽しんでいますか? 他のクリスチャンとの交…

神の力

●万物の保持 「御子は・・・その力あるみことばによって万物を保っておられます。」ヘブル1:3 上記の聖句は、キリストが御言葉の力によって、宇宙のすべての物を保っている事実を教えています。ここで「保っておられます」と訳されているギリシャ語フェロ…

信仰の働き方

●神の言葉→信仰→成就 クリスチャンの間では、「信仰によって」という言葉が独り歩きしているように思います。しかし信仰とは、神の言葉が語られているからこそ運用できるもので、人間主体ではなく神主体の行為です。教会の集会で短くティーチングした際のノ…

神が一番大切にしているもの

●ヒゼキヤの祈りと奇跡 Ⅱ列王記20章やイザヤ38章に、ユダの王ヒゼキヤが不治の病にかかり主に祈ると、その祈りが聞かれ、アハズの日時計の影が10度後戻りしたことが記されています。 歴史的な文献によると、ヒゼキヤの父であるアハズ王が作ったこの日…

こんにちの救いの概念は聖書的か?(後半)

●聖書の救いは一方的 使徒10:44 ペテロが福音を語っている途中でコルネリオたち全員が救われています。受け入れの祈りなど一切していません。伝道者による救いの招きすらない状態で、いつの間にか全員が救われています。 福音のメッセージを通して彼ら…

こんにちの救いの概念は聖書的か?(前半)

こんにちの救いの概念は聖書的か? 私は1980年代にアメリカの宣教団体の働きを通して救われ、その後20数年間、福音主義の中を歩みました。その間、福音派の大半の教会で信じられている救いの教理に何の違和感も持たずに歩んできましたが、最近になって…

携挙(その3)

(前の記事からの続き) ●マタイ25章の10人の娘たち 日本の、ある教会の牧師は、マタイ25章の賢い娘と愚かな娘の例え話を根拠にして、クリスチャンでも携挙されない人たちがいて、その人たちは大患難を通されると教えています。果たして、そのような解…

携挙(その2)

(前の記事からの続き) ●全員が携挙される これらの注解や辞典によれば、汽灰螢鵐硲隠犠呂能劼戮蕕譴討い觧犲圓良鉷茲籠僘里諒冕討蓮携挙の際に起こるものということになります。 汽謄汽蹈縫隠款呂鉢汽灰螢鵐硲隠犠呂鮃腓錣擦胴佑┐襪函▲リスチャンは全員携…

携挙(その1)

携挙 携挙は、いつの時代でも論議を呼ぶテーマです。そして色々な説があります。論議の中心は、いつ携挙が起こるかという点で、それに関して解釈が分かれます。しかしこの日記では、それとはまた別の視点で携挙を考察したいと思います。 ●第一部 クリスチャ…

コメントへの応答 その2

●後半のコメントの内容 ところで、聖書ではキリストが聖職位階を作ったようです。キリストは聖職者と信徒を区別し(ヨハネ17・20)、12人や72人を選びます。使徒(マタ28・19)、特にペトロには信徒と聖職者の司牧を命じます(ヨハ21)。 「他者の信仰を支配・・…

コメントへの応答 その1

●コメントの内容 はじめまして。カトリックの一信者です。教会アナーキズム的お立場からの職制批判、興味深く拝読しました。プロテスタントでは「牧師は偉い」から従うという「上下関係」があるのですか? カトリックでは司祭の権能は当人の人格とは無関係で…

イエスの教えと職制の矛盾

イエスの言葉と職制の矛盾 「しかし、あなたがたは先生と呼ばれてはいけません。あなたがたの教師はただひとりしかなく、あなたがたはみな兄弟だからです。」 マタイ23:8 前回の日記では、職制が聖書から出た概念かどうかを考察しました。今回は、聖書の…

職制

職制 こんにちキリスト教界において、職制という概念が採用されています。使徒、預言者、伝道者、牧師、教師、長老、監督、執事などを「職」あるいは「職務」という概念で考えるものです。この概念が本当に聖書的かどうかを考えたいと思います。 ●エペソ4:…

万人祭司4 クリスチャンはみな奉仕者

万人祭司4 クリスチャンはみな奉仕者 万人祭司をはじめに唱えたルターは言いました。クリスチャンは誰でも「洗礼を授け、ミサを献げ、罪のゆるしを宣言し、説教する」ことができると。(参照:いのちのことば社刊「新キリスト教辞典」P1058。)このように…

すべてのものを見分ける

「霊だからといって、みな信じてはいけません。それらの霊が神からのものかどうかを、ためしなさい。」 汽茱魯唯粥В 今日は、霊的見分けについて簡単に書こうと思います。 ●事例1 トロント・ブレッシングの真似→教会分裂 しばらく前に、トロント・ブレッシン…

最後の審判

ある兄弟に、最後の審判について尋ねられた。クリスチャンもこの審判を通されるのだろうか、というのが彼の疑問の核心のようだった。 私たちクリスチャンはキリストの血潮によってきよめられ、義の衣をまとっている。「こういうわけで、今は、キリスト・イエ…

■アブラムの什一献上-什一献金の根拠になる?■

ある方々は什一献金の聖書的根拠として、創世記14章でアブラムが祭司メルキゼデクに戦利品の十分の一を与えたことを挙げる。律法の付与以前にも収入の十分の一を捧げる習慣があったというのである。アブラムの什一献上は、果たして本当にその根拠になるだ…

■新約聖書が語る牧会とは■

ここでは、こんにちの牧会と聖書が教える牧会の違いを考えたい。 ●書簡の宛て先 使徒たちが諸教会に手紙を書くときは、教会に問題があったり、教会が危機に瀕していたときである。それゆえ、手紙が誰に宛てて書かれていたかを見ることによって、誰が教会にお…