ダビデの日記

自分が学んだ聖書の教えに関するブログ

2017-01-01から1年間の記事一覧

患難前携挙説の「携挙の切迫性」は聖書的か?

患難前携挙説は、しばしば携挙の切迫性を強調します。 例えば、先頃のクリスチャン・トゥデイの記事で、中川健一先生が切迫性を強調しています。 以下にその部分を引用します。 中川氏自身は患難期前携挙説の立場だが、他の説についても時間をかけて説明し…

使徒信条:イエスは本当に陰府にくだったのか?

使徒信条は、多くの教会で唱えられていると思います。 それは、使徒信条が少なくとも表面上は、受け入れられていることを示しています。 しかし個人的には、「陰府にくだり」という部分が以前から気になっています。 この部分が、聖書の記述とぶつかるから…

心のきよい者は幸いです

マタイ5:8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。 「きよい」と訳されているのは、カサロスという言葉です。 ギリシャ語辞典の説明では、「罪の影響による穢れを受けていない」状態とあります。 「見る」はホラオーという言葉で、「見る、体…

あわれみ深い者は幸い

マタイ5:7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。 「幸い」というのはマカリオスという言葉で、辞典の説明によると、 「神の好意を受けることができて、羨ましがられるような立場にあること」を意味します。 また、「あわれみを受け…

現代ギリシャ語新約聖書から証明されるNTライトの誤り

この記事は、NTライトの主張に対する粗探しのようなものかもしれません。 しかし、彼の言うことを盲目的に信じるよりは、ここに書かれたことを思いに留めておくほうが良いと思います。 ●ピスティス・イエソウ・クリストウに関する理解 私の手元にライトが…

救われるには行いが必要か? その2

前回は、福音書や使徒の働き、パウロ書簡を取り上げて、それらの箇所が信仰による義認(救い)を教えていることを示しました。 しかし信仰義認を語るとき、必ずと言っていいほど問題になるのがヤコブの手紙です。 一見すると、矛盾したことを書いているよう…

救われるには行いが必要か? その1

信仰義認と関連性のあるテーマについて、短編の記事を書きます。 先ごろクリスチャン・トゥデイに「救われるには信仰と善行の両方が必要」米プロテスタントの半数が同意という記事が出ました。 この記事で言われていることは、裏を返せば、信仰だけでは救わ…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その10

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その9では、引用した箇所に含まれる「信じる」という言葉を、三谷氏が意図的に「応答」と歪めてしまい、…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その9

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その8では、三谷氏による予定説再解釈の結論が、明らかに聖書と食い違っていることを証明しました。 こ…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その8

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その7では、三谷氏が、キリストの救いと直接関連のない聖書箇所を歪曲して、持論の正当化に利用している…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その7

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その6では、三谷氏より引用されている聖書箇所の解釈が間違っていることを示しました。 今回取り上げる…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その6

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その5では、「神の選び計画」に関する三谷氏による曲解を検証しました。 この記事でも、三谷氏の聖書解釈…

「信仰義認の再解釈」に関する疑問 その5

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その4では、聖書に書かれている「選び」という表現は「誤解」であり「隠喩」だとする三谷氏の主張が、 …

「キリストを信じる信仰」か「キリストの忠実さ」か?  その3

その2では、複数の根拠を更に挙げて、「キリストを信じる信仰」という解釈が正しいことを述べました。 この記事でも、さらに根拠を挙げて「キリストを信じる信仰」という解釈が妥当であることを説明します。 その前に、前回、最後に説明したピリピの箇所は…

「キリストを信じる信仰」か「キリストの忠実さ」か?  その2

その1では、パウロがピステオス+クリストウというギリシャ語表現を使う場合、 「キリストの忠実さ」ではなく、信者の信仰という意味で使っていることを述べました。 そのことを示す聖書箇所も多数挙げました。 この記事では、ピステオス+クリストウを、「…

「キリストを信じる信仰」か「キリストの忠実さ」か?  その1

米国の福音派でしばらく前から物議を醸しているテーマの一つに、パウロ書簡に見られるfaith/faithfulness in Christというフレーズの翻訳/解釈の問題があります。 このフレーズは、ローマ3章とガラテヤ2章を中心にして、パウロの書簡の数カ所で使われて…

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その4

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その3では、救いは「意識できない」ものだとする三谷氏の見解に、あからさまな誤りがあることを証明しま…

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その3

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その2では、三谷氏が主張する救いのメカニズムに関する誤りを、幾つか指摘しました。 三谷氏は、持論に…

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その2

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 その1では、福音主義の歴史的救済論が、乳幼児や障がい者の救いを否定しているという三谷氏の見解を検証…

「信仰による義認の再解釈」に関する疑問 その1

この記事は、クリスチャン・トゥデイ掲載のコラム「福音の回復(45)誰が救われるの?―信仰による義認、予定説」(前編と後編)に関するものです。 このコラムでは「信仰による義認の再解釈」という大胆な試みがなされているため、このコラムの内容の妥当…

パウロが真に云わんとしたこと その7(NPP検証論考)

その6でガザーコール博士は、義と信仰について解説しました。 義とは、「律法のすべての命令を全うした者として神の前で認められる」ことであり、 信仰は、神の「語り掛けに対する応答として主に信頼する」ことです。 この記事では、「律法の行い」につい…

パウロが真に云わんとしたこと その6(NPP検証論考)

その5の後半から、ガザーコール博士は、聖書本文に基づいて義認について語りはじめました。 1世紀のユダヤ人の律法理解には、様々なバリエーションがありましたが、NPPの義認論は、その中の一部に基づいたものに過ぎません。 それゆえNPPは、パウロが言う…

パウロが真に云わんとしたこと その5(NPP検証論考)

その4では、ガザーコール博士が古代ユダヤ教の資料を提示して、1世紀のユダヤ人が行いによる救いを信じていたことを示し、NPPの欠陥を指摘しました。 資料には、「義を行う者は…自分のためにいのちを蓄える」「自分の行いによって救われた者たち」といった…

パウロが真に云わんとしたこと その4(NPP検証論考)

その3から、ガザーコール博士によるNPPの検証がはじまりました。 第二神殿時代のユダヤ人の律法理解には、大きな意味があること、それゆえ私たちは、ユダヤ教を偏見視してはならないこと、などが語られました。 しかしこの記事では、ついにガザーコール博…

パウロが真に云わんとしたこと その3(NPP検証論考)

ガラテヤ2:14~16 しかし、彼らが福音の真理についてまっすぐに歩んでいないのを見て、私はみなの面前でケパにこう言いました。「あなたは、自分がユダヤ人でありながらユダヤ人のようには生活せず、異邦人のように生活していたのに、どうして異邦人に対し…

パウロが真に云わんとしたこと その2(NPP検証論考)

NPPの礎を築いた学者の一人に、EPサンダース(E. P. Sanders)がいます。 サンダースは第二神殿期のユダヤ教を研究した結果として、「契約に基づく律法遵守説1/covenantal nomism」を提唱します。 「契約に基づく律法遵守説」とは、1世紀のユダヤ人は律法…

パウロが真に云わんとしたこと その1(NPP検証論考)

NTライトの著書「Justification - God's Plan & Paul's Vision」を読んでわかったのですが、 ライトが「義」という概念を「契約加入権/covenant membership」と解釈するようになった背景には、第二神殿期のユダヤ教の理解があります。 ライトは、第二神殿期…

キリスト教進歩主義の稚拙な聖書理解 その2

FB上でキリスト教進歩主義を流布しているKFさんが、次のような投稿をしました。 1コリント15:22~28から、万人救済説を見出さないことは不可能だ。 It's impossible not to get universalism out of 1 Corinthians 15:22-28. 引用元:KFさんのFB これを検…

ポケット・テスタメント・リーグのFB投稿

FB上で、ポケット・テスタメント・リーグによる面白い投稿があったのでシェアします。 「祈りなさい。そして、神に思い煩っていただきなさい(神を思い煩わせなさい)。」 マルチン・ルター プロテスタント・ブログランキングへ

シカゴ声明に関する疑問 その2

「聖書の現象」でもあり、私にとってはシカゴ声明に関する疑問でもある問題について書きます。 ●疑問を感じる箇所 6 聖書全体が、またそのあらゆる部分が、原本において、ことばそのものに至るまで、神の霊感によって与えられたということを私たちは主張す…